みなさんは財団法人 健康・体力づくり事業財団が提唱している「健康日本21」のなかにどのような内容が含まれているかご存知ですか。そこでとりあげられている9項目の中には「口腔と歯の健康」と「運動」が含まれているのです。ここではスポーツと歯科、とくにスポーツでのけがとの関係について、よくみなさんからいただくご質問にお答えします。
スポーツではどのくらいの数の人が口や歯にケガをしているのでしょうか。
顎や顔面周囲のケガの治療のために歯科大学の附属病院や口腔外科を訪れた人についてまとめると、いずれも交通事故が原因の一番目にあるのですが、階段などでの転倒や転落についでスポーツが3番目になっているのです(図1)。その割合はおおよそ10人に1人ということになります。しかしシートベルトやエアーバッグの利用により交通事故での顎顔面頭部のケガが減少してきており、今後さらにスポーツによるケガが増えることが予想されます。
図1
やはり男性に多く、その比率は3:1とも4:1ともされています。また10代が最も多くのケガをしています。事実、クラブ活動や体育の授業と、最もスポーツをさかんにする年代なので、当然ケガをすることも多いのです。また男性の方がスポーツをする機会が多いのもうなずけると思います。では本当に、男性の方がスポーツ外傷に遭遇する危険性が高いといえるでしょうか。外傷の発生に関する男女比については反論もあります。スポーツをする女性の数そのものが男性よりまだ少ないのですから、ケガする人の数も少なくなって当然だという意見です。正確に母集団を合わせた場合には同じくらいかもしれませんし、女性が顔にケガをすることの影響が男性よりも大きいことを考えれば、やはり女性にも危険性が高いと考えるべきでしょう。
学校での授業あるいは放課後のケガのなかでも、口や顔のケガの占める割合はかなり高いのです。日本体育・学校健康センターの調べでも、平成9年度に報告のあった学校でのケガ約100万件のうち約20%が顔面部の障害に関するものであり、小学生では約2万件が歯に関するものであったとされています(図2)。
図2
ふつうはラグビーや アメリカンフットボール、ボクシングあるいは格闘技のようなスポーツがイメージとして浮かぶと思います。確かにこのような相手と接触(コンタクト)するスポーツでケガをしやすいことは確かなのですが、実際には野球やバスケットでも口や顔にケガをすることが多いのです。スポーツ人口からいってもやはり野球でケガをする人が多くなります。
また相手と接触するほかに、ボールやバット、ネットのような器具あるいはグランドやコートでケガをすることもあります。最近ではサッカーがさかんですが、サッカーでケガをする人も増えています。北海道などの、アイスホッケーやスキーが盛んなところでは、それが原因のケガも増えます。意外に思われるかもしれませんが、水球や卓球で顔や口にケガをする場合もあるのです。このような場合には、自分の歯が「刃物」になって、頬や舌を傷つけることになるからです。(図3、4)
図3
図4
一番多くケガしているのは、上の前歯です。前歯を打ったり(打撲)、歯が折れたり(破折)、ぐらついたり(脱臼)、ひどい場合には抜け落ちることさえあります。もちろん、激しくぶつかると顔や顎の骨が折れることもあります。下あごでは骨折の方がよくおこります。その結果長期間、入院したり治療を受けたりすることが必要になることも事実ですので、なんとか軽症にとどめる必要があるのです。(図5、6:濃い色の部分でのケガが多い。)
スポーツでケガをする人というと、プロの選手のように常にプレーする機会のある人だけのように考えがちですが、そうではありません。そのような選手は、逆によくトレーニングされているので、うまくケガをさけるすべを身に付けています。むしろたまにしか運動しない人や、学生でいえば1年生でその競技を始めたばかりという選手がケガしやすいのです。いいかえれば 、初心者ほどケガしやすいということになります。でも、上級者でも安心はできません。限界ぎりぎりの激しい競技は常にケガの発生と背中合わせの状態なのですから。
また、同じように運動していてもケガをしやすい人としにくい人があります。それをスポーツ歯科外傷のリスクファクター(危険因子)といいます。それにはスポーツの種類や器具の使用の有無、競技場所などのいわゆる外因性のものと(図7)、その人の口の状態などに起因する内因性のものがあります。内因性のものの例としては、上あごの前突(図8)や犬歯の位置の異常などがあげられます。
ただでさえ 、上あごの前歯は打撃や衝撃をうけやすい場所なのですからこれはよくわかると思います。このほかに矯正の治療中で、ブラケット(歯につける小さな装置)などがついている場合があります(図9)。また親知らずがある場合には、そこが骨折の原因となる場合もあります(図10)。つまりこのようなひとは「スポーツ歯科外傷のリスクファクター」を持っていることになりますから、あらかじめ予防処置をしておく必要があるのです。
スポーツ時の口のケガとしては、唇や頬(ほほ)や舌が切れるなどの軽症から、歯が欠ける・折れる・抜ける、顎の骨が折れるなどなどの重症までいろいろあります。それぞれに対する処置はことなります。最近ではできるだけ歯や骨を残す治療がされていますので、歯科医院でよくご相談ください。
まずは歯のかけらを探して下さい。見つかったらそれを持ってすぐに歯科医院にきてください。歯の神経がでていなければ、かけらを接着してもとの歯にくっつけることができます。歯の神経がでてしまった場合でも、ふたをして歯のかけらをくっつけます。もしかけらが見つからなくても、歯の色をした樹脂で歯の形を作ることもできます。(図11)
図11
歯がぐらぐらになっているだけで、歯が折れたりしていなければ、しばらく固定しておくだけで直ります。固定はワイヤーとプラスチックのようなものでします。場合によっては一時的に神経が反応しなくなることがありますが、時間がたつともとに戻ることも多いので、早まって神経をとらない方がいいのです。
歯がぐらぐらになっているだけで、歯が折れたりしていなければ、しばらく固定しておくだけで直ります。固定はワイヤーとプラスチックのようなものでします。場合によっては一時的に神経が反応しなくなることがありますが、時間がたつともとに戻ることも多いので、早まって神経をとらない方がいいのです。
まずはとにかく歯を探しましょう。歯をもとの位置に植え直すことができます。歯を見つけだしたら、歯の頭の部分を持って、ねっこの部分を水道水で洗います。そして、もとの位置に戻せたら自分で戻します。無理ならば牛乳に入れるか、歯とほっぺたの間に入れて、急いで歯科医院にきてください。歯を元の位置に戻して固定をします。早ければ早いほど、歯の保存状態がよい程、元通りに直る可能性が高くなります。しかし、時間がたってしまった歯でも、ふつうとは少し違う直り方で歯が戻る可能性があります。とにかく、歯を持ってきてください。
スポーツ歯科外傷の多くはマウスガードをはめることで、防止できたり軽減できたりすることが多いのです。
マウスガードは、「マウスピース」あるいは「マウスプロテクター」とも呼ばれます。でも「マウスピース」と言えば、トランペットなどの楽器に用いるものと混同されるおそれもあり、日本スポーツ歯学会ではマウスガードと呼ぶことをすすめています。(図12)
口のケガを予防するため、通常は上あごに歯を被うようなU字型のものです。衝撃を吸収するようやわらかい素材でできています。
図12
では、マウスガードを手に入れるにはどうしたらよいのでしょうか?スポーツ用品店でマウスフォームドタイプといってお湯につけて軟化して口の中で形作るものが多く売られています(図13)。
値段は数百円から数千円です。しかし、お湯につけた熱々のマウスガードで口を火傷してしまう人がいて危険ですし、形をなんとかつくれたとしても口にぴったりのものをつくるのは大変難しいです。つけごこちも悪いようです。あまりおすすめしません。
図13
もう一つの方法として、歯科医院でつくってもらう方法があります。カスタムメイドタイプといいます。歯科医に歯型とかみあわせをとってもらい、次に来た時に出来上がったマウスガードを口の中で微調整してもらい完成です。カスタムメイドタイプマウスガードは、口にぴったりしていて、効果が高く、つけごごちもマウスフォームドタイプより断然よいです(図14)。また、カラフルな色にしたり、名前を入れることもできます(図15)。
効果や安全性の面でも、つけごごちの面でもカスタムメイドタイプがお勧めです。一度、歯科医に相談してみましょう。時に、運動能力の向上、パワーアップを目的にマウスガードをつくりたいという選手がみえられますが、まずはケガの予防が最大の目的です。マウスガードをつけて力が入るようになったという選手もいますが、もともとの歯のかみ合わせが悪かったのが、マウスガードによってかみ合わせがよくなることで、何らかの効果があらわれることはあるかもしれません。単純にマウスガードをつけている「安心感」が運動能力に影響を与えているかもしれません。運動能力に関しては、まだまだ研究が必要です。
マウスガードというとすぐボクシングやKー1の選手をイメージするでしょう。
マウスガードをつけることが義務付けされているスポーツを図16に示します。
などです。義務付けをされていないけれど、マウスガードがよく使用されるスポーツ、あるいはマウスガードが効果的とされるスポーツとしては、バスケットボール、ハンドボール、水球、ラグビー、アイスホッケー、サッカー、柔道、相撲、スキーなどがあります。いわゆるコンタクトスポーツ(=接触の多い激しいスポーツ)や挌闘技でよく使用されるようです。綱引き、ウェイトリフティング、卓球などで使用されたという報告もあります(図16、17)。
マウスガードのいちばんの目的および効果は「外傷の防止、軽減」で、歯が折れたり抜けたり、骨が折れたりするのを防止あるいは軽減します。スポーツ時には、ひとやものとぶつかったり、急な動きのために、歯で舌や口の中の粘膜や唇を歯で傷つけてしまうことがあります。歯は本来はものを食べるための刃物です。この歯に覆いをかぶせることで、口の切り傷は激減します。そして、刃物である歯をおおうことはマウスガードをつけている本人だけでなく、歯で相手を傷つけることを防止する効果もあります。
「脳震盪の防止、軽減」も効果のひとつとされていますが、十分は科学的に照明されていません。この効果は、素材の衝撃吸収性と素材の弾性で顎を固定する働きによるものと考えられています。もともと、マウスガードはボクシングのためにつくられました。ある選手がボクシングの公式試合で使用しはじめたときには、対戦相手からルール違反だとクレームがつき大論争になったこともありましたが、結局はマウスガードの外傷予防の効果が認められ、その使用が広まっていきました。
もうひとつ、けがをしにくい、という「安心感」もスポーツ選手にとって大きな効果を生むようです。マウスガードをつけている安心感から思い切ってスポーツできるようになることがしばしばあります。
基本的には、マウスガードは口にけがをしたり、脳震盪をおこしたりする可能性があるスポーツあるいは選手について、有効な防具であると言えます。
マウスガードは口にあったものを。(図18)
口にぴったりあっていないマウスガードでは効果がありません。また、かみ合わせがあっていないと、アゴの関節(顎関節)へ悪影響をおよぼすことがあります。歯科医院で調整してもらいましょう。筋肉が痛い、歯が痛いなどなんらかの症状がでたときにも、歯科医院へすぐに相談しましょう。
マウスガードは清潔に。
マウスガードは比較的柔らかい素材でできているため、吸水性が高く、色やにおいがつきやすい性質があります。使用後は水洗いし、ケースなどに保管しましょう。
高温においてはダメ。
マウスガードは熱で変形しやすい素材でできています。お湯につけたり、高温になる場所に放置することは避けましょう。
マウスガードは練習の時から。
マウスガードは試合の時だけでなく、練習の時から使用しましょう。練習時のけがを防止するのはもちろんのこと、練習でマウスガードに慣れておくと試合でうまく使いこなすことができるためです。
図18
「噛み合わせ」と全身の健康との関係がよくとりあげられます。これは「良い噛み合わせ」をしていること健康を維持しやすいが、「良くない噛み合わせ」をしていると全身にも問題を生じやすくなるというものです。噛み合わせは本当に大切で、食事が十分にできなければ必要な栄養をとることもできません。
運動能力の向上、パワーアップを目的にマウスガードをつくりたいという選手がみえられます。マウスガードをつけて力が入るようになったという選手もいますが、マウスガードの運動能力向上効果は、科学的にはまだ証明されていません。単純にマウスガードをつけている「安心感」が運動能力に影響を与えているかもしれません。
ただ「咬む」ことは、身体を固定することには効果はあるとされていますが、常に「運動能力の向上」に繋がるとはいえず、まだ科学的に十分に証明がないのが現状です。これは一口に運動といっても「動きの少ないスポーツ、動きの多いスポーツ、持続的な動きのあるスポーツ、瞬発的な動きの多いスポーツ、さらにはそれらの組み合わさったスポーツ」が考えられ、それらを同一に考えることができないからです。現在研究が進んでいますので、近い将来その関係がより明らかにされることが期待されます。
大阪大学歯学部附属病院口腔総合診療部 前田芳信先生に書いていただきました。
(以上の内容は クインテッセンス出版 「マウスガード製作マニュアル」ならびに「歯科衛生士 2001年9月号、10月号掲載内容をもとに改変したものです)
参考文献
いつまでも丈夫で元気な歯でいるために今からでもできる事など正しい知識や最新の医療情報をご紹介いたします。
本会は、医道の高揚と歯科医学の進歩発達と公衆衛生の普及向上を図り、もって社会及び会員の福祉を増進することを目的とする。